こんばんは、
橋本美香です。
今日は、一日中
家の手伝いをしていました。
父からの要望。
ちょっと説明が難しいので、
何をしているのかは省きますが
写真に写っていうのは、【にんにくの芽】です( ͡° ͜ʖ ͡°)
作業報告に関しては、
報告できることが特にないので
【今日あった出来事】について
書いていこうと思います。
今日の出来事というか、
もはや、今さっきの出来事。(苦笑)
昨日、私は自室のカーテンが
かなり古かったので(15年ほど)、
手放したのですが…
そのことに関して
先ほど母と喧嘩になってしまいました。
簡単にいうと、
【何でまだ使えるのに、捨てるの?】
ということです。
私的には、
【15年も使ってて古いから】
【埃まみれで、古いし、テンション下がるから】
【大好きなモノだけに囲まれていたいから】
【カーテンは消耗品と認識しているから】
【そもそも私のモノだから、
自分の判断でモノは捨てられると思ってたから】
といった考えがありました。
それでも、母は
【使えるのに、ポンポン捨てる意味がわからない】と。
そうですよね。
そう思っちゃいますよね。
多分、片付けが苦手寄りな人は
そう思っちゃうと思います。
実際、母も
父ほどではありませんが
【手放しがかなり苦手】です。
【使えるモノはとっておく】
っていう価値観なんですよね。
【テンション下がるから捨てる】っていう
意味が理解できないんだと思います。
私も最初、
母のような考えを持っていたので
気持ち、わかります。
でも、片付けを継続していくにつれて
少しずつ少しずつ今のような考えに
なってきました。
今回のことについて、
ちょっと話せてもらうと…
正直、母は
【モノ主体】の考え方に
なってしまっているんですよね。
【もったいない】
【まだ使えるのに】
こういった言葉が出てくるということは、
【モノ主体】になってしまっている証拠です。
でも、考えてもみてください。
【そもそも、なんのためにモノが存在するのか】
ということを。
答えは、
【人がそのモノを使うから】ですよね。
私は、
【ヒト】をないがしろにして、
【モノ】が主体になってしまっては
いけないと思うんですよね。
だって、
【ヒトがいてモノがある】んだから。
モノのために、ヒトが生きているわけでは、
決して、ないんですよね。
モノはヒトのために存在するけど、
ヒトはモノのために存在するわけではない。
※ちょっと説明難しくて
ごめんなさいm(_ _)m
だから、私は
【モヤっとするもの】【嫌いなもの】
【テンションが下がるモノ】
【壊れてるモノ】【使わないモノ】
といったのは、手放すようにしています。
何度もいうように、
【モノ主体】ではなく
【人主体】じゃないとダメだと思います。
私たちは、
【モノ】のために生きているわけではなく、
【自分の人生を生きるため】に生きているからです。
それなのに
【もったいない】から
【まだ使える】から
といつまでもガラクタに囲まれて
【自分の理想の人生】を送れないでいるというのは
とってももったいないことだなと思うのです。
一番大切なのは・・・
【モノ】ではなく、
自分という【人間】
なんじゃないかなって思うんです・・・。
モノを大切にする前に、
自分を大切にしてあげるべきではないでしょうか?
モノに囲まれた、
古くて汚いモノだらけで、
いやな過去が思い出される…
そんな部屋よりも。
必要なモノしかなくて、
スッキリ清潔で、
その1つ1つのモノは自分が大好きで
テンションの上がるモノばかり…
この方が、
【自分大切にしている】ということ
になるのではないでしょうか?
1度きりの人生、せっかくなら
【モノ】より【自分のため】に生きた方が
素敵な生き方だと、私は思っています☺️
あなたはどう思いますか??
【PS】
お母さんとは、仲がいい方なので
喧嘩してもお互い、寝れば忘れてると思います。笑
綺麗部屋目指して頑張ります٩( ᐛ )و